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東京地方裁判所 平成7年(ワ)9103号 判決

原告

瀧田知惠子

右訴訟代理人弁護士

林浩二

被告

華表克次

右訴訟代理人弁護士

高田利廣

主文

一  被告は、原告に対し、金八四一万六六六六円及びこれに対する平成四年一二月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを七分し、その二を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行できる。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金二八〇〇万円及びこれに対する平成四年一二月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、亡瀧田仁(以下「仁」という)が平成四年四月一八日から同年一二月二八日まで被告の経営する幸町胃腸病院において小脳出血等により入院治療を受けていたところ、同年一一月には全身状態が悪化し、同年一二月三〇日転院先の東京都立豊島病院において腎不全により死亡するに至ったが(当事者間に争いがない)、仁の妻である原告が、仁の死亡原因は褥瘡(いわゆる床ずれ)にあるとして、被告に対し、主位的に診療契約上の債務不履行、予備的に不法行為を理由に慰藉料等の損害賠償を求める事案である。

一  原告の主張

1  当事者

原告は仁の妻であり、被告は胃腸科等を診療対象とする幸町胃腸病院(以下「被告病院」という)を経営する医師である。

2  本件の経過

(一) 仁は個人で建築工事業を営み健康体であったが、平成四年一月五日突然倒れ、救急車で一心病院に搬送された。そこで、昏睡状態となり、東京都立豊島病院(以下「豊島病院」という)に転院し、小脳出血と診断され、血腫除去の手術を受けた。

(二) 仁は豊島病院では当初意識もない状態であったが、徐々に回復し、人の話にうなづくことができるようになり、リハビリも行っていた。また車椅子での移動等も行い、医療上求められている褥瘡予防措置である頻繁な体位変換、圧迫の軽減措置などを適切に行っていたため、仁について褥瘡を形成させるようなことはなかった。

(三) 豊島病院では病院の体制上、ある程度回復した仁についてはこれ以上入院させておけないということで、原告は仁を平成四年四月一八日自宅近くの被告病院に転院させ、仁と被告との間で医療上の診療契約が成立した。

(四) 豊島病院では経過が順調で徐々に仁は回復していたが、被告病院では被告がおしめをきつくしめたり、適切な体位変換を行わなかったり、全く寝たきりの状態にさせられ、入院して数日で仁の仙骨部に褥瘡ができてしまった。以後、仁は褥瘡のためと思われる熱を出し、褥瘡は平成四年一〇月頃まで改善せず、被告は褥瘡について「床ずれなんか痛くない」「治るよ、治るよ」と余り重視せずに適切な治療がなされない状態であった。

(五) 原告は、被告が褥瘡の改善のための処置を行わなかったため、平成四年一〇月中旬頃から体位変換を自ら行い、褥瘡への圧迫を防ぐ措置をとり、このため仁の褥瘡は若干よくなった。

ところが、同年一一月被告は原告に対し、「おむつをゆるくするのはやめてくれ、これからは私がやる」として、おむつをきつくしめるようになり、褥瘡の傷口にガーゼを二枚もつめるようになって、仁の褥瘡は再び腫れてきて、褥瘡のためと思われる高熱がでるようになり、褥瘡は悪化してしまった。

(六) 平成四年一一月中旬以降、褥瘡の悪化のため仁の全身状態も悪化していき、背中に円座のふちをあてたままにして新たな褥瘡を形成させたりするという被告病院の診療のあり方に原告は危機感を抱きはじめた。

更に、同月下旬、被告は原告に「御主人は腎臓が悪くなっている」と言い、一二月になると「透析をしないともたない」とせまり出した。そして、原告が褥瘡のことを述べると、「褥瘡のことについてうるさいのはあんただけだ」と取り合おうとしない状態であった。

(七) そして、同年一二月二七日、被告は原告に、仁が「二日の命だ」と言い出し、ここに及んで原告としてはこのままでは仁は死ぬばかりだと考え、豊島病院に戻る手配をし、同月二八日救急車で同病院に仁を運んだ。

しかし、仁は自発呼吸も不十分な程に衰弱しており、豊島病院での治療もむなしく、同月三〇日午前零時二四分腎不全により死亡した。

3  被告の債務不履行または不法行為

(一) 褥瘡とは床ずれとも呼ばれ、長時間にわたる体圧の圧迫により血液循環障害を起こす局所組織の圧迫壊死をいう。

初めは皮膚の発赤のみであるが、水泡、びらん、皮膚組織壊死、筋肉や腱・骨髄などの露出、骨破壊へと進み、重症度を増す。痛み・細菌感染による発熱、創部からの体液の滲出、出血など褥瘡は全身状態を消耗させる因子となり、ひいては原疾患治療の妨げともなる。栄養状態が悪く、自力での体動困難な患者に発生し易いが、一、二時間毎の体位変換、マッサージ、皮膚の清拭と乾燥、栄養補給をきちんと実施すれば、褥瘡の発生予防が可能で、発生しても初期に治癒させることができる。逆にこれらのことが不十分・不適切であれば、一夜にして褥瘡は発生する。

(二) 一度発生させた褥瘡を軽視したり、適切な治療を怠ると、褥瘡が滲出液の排出により体液、蛋白質、電解質の喪失、貧血により全身的衰弱を招き、この状態がさらに褥瘡の増悪につながり、悪循環から死に至らせることになる。

(三) 被告は、仁が自力での体動困難な患者であるのに、褥瘡の予防のために必要な頻繁な体位変換、圧迫力の軽減、局所の保温、清潔と乾燥などの措置、低蛋白血症、貧血の治療などの全身管理措置を怠り、仁に褥瘡を発症させ、悪化させた。

(四) 更に、被告は発症した褥瘡に対して全身管理及び感染の予防、治療、壊死組織の除去、適切なガーゼ交換などの局所的治療を怠り、仁の褥瘡を悪化させて全身的衰弱を招き、腎機能が悪化して腎不全となり、さらに尿毒症、敗血症を併発させ、遂に死に至らせてしまった。

(五) 入院患者の褥瘡発生予防、褥瘡改善は医療担当者の責任であるところ、被告が診療契約上の注意義務に違反したことは明らかであり、被告は診療契約上の債務不履行または不法行為により原告に発生した損害を賠償する責任がある。

4  損害

(一) 仁の損害

(1) 慰藉料

仁は被告の過失による褥瘡に苦しみ、かつ、これによって全身状態が悪化し死亡した。これによる仁の精神的損害は金三〇〇〇万円を下らない。

(2) 原告の相続

原告は仁の妻であり、仁の母とともにその相続人となったから、仁が平成四年一二月三〇日死亡したことにより仁の右慰藉料請求権のうち法定相続分三分の二に相当する金二〇〇〇万円の請求権を相続により取得した。

(二) 原告の損害

原告は夫である仁が褥瘡になり、献身的に看病したが、結局は全身状態が悪化し、最愛の夫を失うことになった。この原告の精神的損害は金五〇〇万円を下らない。

(三) 弁護士費用

原告は本件訴訟のため代理人弁護士に事件処理を委任したが、その弁護士費用相当の損害額は、金二五〇〇万円の請求訴訟における着手金、報酬金の基準額合計内の金三〇〇万円が相当である。

よって、原告は、被告に対し、主位的に債務不履行、予備的に不法行為に基づき、損害賠償として金二八〇〇万円及びこれに対する仁死亡の日である平成四年一二月三〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告の主張

1  仁の入院経過について

(一) 平成四年四月一八日豊島病院より被告病院へ転入院時、仁の意識レベルはほぼ安定しており、栄養は経管栄養にて一日一二〇〇カロリーを投与し、糖尿病に対しモノタードインスリンを朝一四単位、夕六単位筋肉注射した。褥瘡予防のためほぼ三時間毎に体位変換を行った(確かに理想的には一、二時間毎に体位変換をするのが良いとされているが、看護の体制上(基準看護Ⅰ類、患者四人に対し看護婦一人)限られた看護婦数では三時間毎の体位変換が事実上限度である)。そして、全身の清拭は毎日行っていた。

(二) 同月二六日頃より仁の仙骨部に第一度の褥瘡形成があり、イソジンゲルとデブリサンにて処置を続け、体位変換、清拭は同様に行っていた。同年六月一五日より圧迫力の軽減を目的にエアーマットを使用し、同月二〇日より栄養状態の改善を目的に経管栄養を一四〇〇カロリーに増量した。

(三) 同月二〇日より仁は発熱し、抗生剤の投与を開始するが軽快なく、同年七月三日褥瘡部の二次感染と判明したため同日より数回にわたり褥瘡部の痂皮を切除した。その後解熱が得られ、全身的には発熱前と同様の状態に回復した。

(四) 褥瘡の処置は継続的に行っており、回診時以外にも糞尿で汚染されたときはその都度処置を行った。貧血に対し、同年七月六日より鉄剤の投与を開始し、さらに翌日より輸血四〇〇ミリリットルを四日間行った。また経管栄養も同月一〇日から一六〇〇カロリーに増量した。その結果褥瘡は徐々にではあるが治癒傾向を示していた。

医師記録によれば、褥瘡は同年一一月二六日より悪化傾向が始まったと記録上うかがえる。一方、腎機能については、入院時BUN40.4、クレアチニン1.1、尿タンパク(+−)、五月六日BUN三〇、クレアチニン0.9、尿タンパク(2+)と若干腎機能の低下がうかがえた。その後も尿タンパクはほぼ持続的に陽性を示していたが、BUNは一〇月までほぼ二〇台であった。一一月五日BUNが33.2、クレアチニン1.4に上昇がみられたが、この時点では入院時も高かったこともあり、精査は行わなかった。一二月三日にはBUN七七、クレアチニン3.6に上昇し腎機能障害が明らかとなった(この時点で原告には、腎機能が悪化しており、生命維持のためには透析が必要なほどであることを説明した)。しかし、既に一一月初めから腎機能が悪化しつつあったと考えられる。一一月二六日頃より褥瘡のポケットが深くなり始め、一二月に入ってからは、褥瘡は拡大し、意識状態・一般状態も急速に悪化していった。一二月二三日より呼吸状態も悪化したため、酸素吸入を開始し、同月二六日には再び気管切開を行った。さらに、同月二八日にレスピレーターを装着した。そして、原告の希望により同月豊島病院へ再転院した。

2  仁の死亡と褥瘡との因果関係について

仁は重篤な脳障害を受け全身の機能低下をきたしていた患者である。一般に褥瘡の原因としては、圧迫、摩擦、身体の汚染、不潔湿潤、全身衰弱(栄養障害)があげられているが、最近の知見では、褥瘡は身体の臓器病変と完全に関連しており、単に褥瘡の治療を行えばよいと考えるのは早計であることがわかってきている。

仁の直接の死亡原因は腎不全とされるが、その腎不全は小脳出血による脳障害、それに基づく全身の機能低下に引き続き併発したものであり、本件褥瘡とは原因力の程度からみれば無関係であるといわなければならない。被告病院入院当時、仁には腎機能低下があったが、その後の悪化が死因になったのであり、褥瘡については、むしろその治癒を阻害し、さらに悪化させたものといえる。これを要するに、仁の死亡原因は小脳出血に引き続き併発した腎不全であり、褥瘡の悪化はその結果である。

三  争点

1  被告の債務不履行ないし不法行為の成否、すなわち、被告が仁に対し褥瘡の予防と治療について必要とされる適切な医療処置を講じたかどうか。

2  仁の死亡と褥瘡との因果関係の有無

3  損害額

第三  争点に対する判断

一  争点1について

1  証拠(甲第一号証、第三号証、第五号証、第九、一〇号証、乙第二、三号証、第五号証、被告本人(但し、後記措信しない部分を除く)、弁論の全趣旨)によると、次の事実が認められる。

(一) 仁(昭和七年五月一六日生)は、平成四年一月五日午前一時頃外出先で倒れ、救急車で一心病院に搬送された後、意識障害を起こし、豊島病院に転院した。同病院で仁は小脳出血と診断され、直ちに血腫除去手術が施された。

仁は、当初意識もない状態であったが、同年二月に入ってから奇跡的に回復し、中枢性失語症により会話はできなかったものの、人の話に頷くことができるようになり、同月二八日からはリハビリも行っていた。また介助により車椅子に乗れる状態であった。もっとも、仁は糖尿病に罹患しているほか、食物の摂取は経管栄養を必要とする状態であり、また小脳出血に基因する両側不全麻痺、四肢拘縮等により起居や寝返りも自力ではできない状態であった。

豊島病院では、病院の体制上、ある程度回復した仁をこれ以上入院させておくことが難しいといわれ、自宅近くの被告病院を紹介され、原告は、同年四月一八日仁を被告病院に転入院させ、仁と被告との間で医療上の診療契約が締結された。

なお、豊島病院脳神経外科看護婦永田が被告病院の看護婦宛てに作成した仁の入院経過等を記載した平成四年四月一七日付書類には、「褥創予防、気道閉鎖予防にて二時間毎の体位変換を励行しておりました。どうぞよろしく」、「(DMのため仙骨部、褥瘡できやすい)」と記載されている。

(二) 豊島病院では、褥瘡予防のために二時間毎の体位変換等が行われていたことから、仁に褥瘡を発症させることはなかった。これに対し、当時の被告病院においては、基準看護はⅠ類(入院患者四人に対して看護婦一人の看護体制)がとられていたが、看護婦は常勤が八名ないし九名であり、ベッド数は三二で、ほとんど満床の状態であり、仁のような寝たきりの患者に対する体位変換は三時間毎に行うこととされていた。

しかし、被告病院における入院時からの仁に対する体位変換の実施状況についてみると、看護経過記録(乙第三号証)によれば、入院日である平成四年四月一八日にはオムツ交換の記載はあるが、体位変換を実施したことを窺わせる記載は全くなく、翌一九日には午前六時、午前一〇時、午後三時、午後九時に体位変換を実施した旨の記載があり、同月二〇日には午前零時から午前一〇時まで三時間ないし四時間毎に体位変換を実施した旨の記載があるが、午前一〇時から午後三時まではその記載がなく、同様に同月二一日にも午前一〇時以降午後三時までの間には記載がないし、同月二二日には午前六時から午後四時までの間に体位変換が実施された旨の記載がなく、同月二五日には午前一〇時から午後六時までの間に体位変換が実施された旨の記載がないことが認められ、入院当初から必ずしも三時間毎の体位変換が励行されていたわけではなく、そのため仁は、入院して間もない同月二六日仙骨部に褥瘡が発生し、その損傷による褥瘡の深さの分類では第Ⅰ度(圧迫部が発赤する状態)ないし一部第Ⅱ度(腫脹、硬結が加わり、水疱形成や真皮に至る潰瘍が認められる状態)の状態であった。

(三) 被告は、患部にイソジンゲルやデブリサンといった創清浄剤を塗布しガーゼをあてる等の処置を講じたが、その後も体位変換は午前零時、午前三時、午前六時、午前一〇時及び午後九時にはほぼ必ず実施され、午後一二時には概ね実施されていたものの、午後三時と午後六時には体位変換が実施されないことが時々あった。しかし、身体の清拭は毎日行われていた。

被告病院に入院中仁の褥瘡は治癒するには至らなかったが、同年六月二五日頃にはその分類では第二Ⅱ度(腫脹、硬結が加わり、水疱形成や真皮に至る潰瘍が認められる状態)の状態となった。そこで、被告は、同年七月三日から数回にわたり褥瘡部の痂皮を切除する等の処置を講じるとともに、輸血や鉄剤の投与あるいは栄養状態の改善を施したりした。

(四) 一方、原告は、仁が病院のベッドで寝たきりの状態にしておくと褥瘡が悪化するのではないかと考え、独自の判断で同年六月一五日に全身用エアーマットを購入して使用するようになった。しかし、それまで被告や被告病院の看護婦から褥瘡予防のためにエアーマットが有効であるとしてその使用を指示されたり勧められたりしたことはなかった。

(五) このような経緯を経て、仁は、同年一一月二六日頃から褥瘡のポケットが深くなり始め、翌一二月に入ってからは褥瘡の部位自体も大きくなるとともに浸出液が多量に排出され、高熱も続き、その分類では第Ⅲ度(潰瘍が皮膚全層に及び、皮下脂肪層に至る深さになった状態)の状態となって褥瘡は増悪した上、次第に全身状態や意識状態が悪化し、同月二三日頃には呼吸困難な状態となり、被告は、酸素吸入を開始するとともに、同月二六日気管切開を実施した。

そして、原告は、被告に対し豊島病院への転院の希望を伝え、同月二八日仁は豊島病院に転院したが、同月三〇日午前零時二四分腎不全により死亡するに至った。

2  以上のとおりであり、右認定に反する被告本人尋問の結果は措信できない。

ところで、褥瘡は、身体の骨突出部などの局所が体圧に圧迫され、その結果血行障害が起こり、皮膚や皮下組織が壊死を起こして発生する。そして、その原因として、局所的・外的要因としては持続的な圧迫、湿潤、摩擦が、全身的・内的要因としては全身状態不良、低栄養状態、循環障害、知覚障害、糖尿病等があげられている。このように圧迫や圧力は身体の骨突出部にかかる関係で、仙骨部、大転子部、踵骨部や坐骨結節部等が褥瘡の発生部位とされている。また、褥瘡の発生予防としては、局所への圧迫を除去するために自力で体動できない患者の場合には二時間毎の体位変換、圧迫を軽減する用具として全身的な徐圧効果のあるベッドやエアーマット等の使用、マッサージや局所皮膚の清潔と乾燥、高蛋白質、高カロリー食の摂取等の栄養補給が指摘されている。一方、褥瘡が発生した場合の治療方法としては、基礎疾患の治療に加え、保存的療法として褥瘡の予防と同様に圧迫の軽減(少なくとも二時間毎の体位変換、特に糖尿病などの合併症のある患者の場合はより頻繁に体位変換をする必要がある)、局所皮膚の清潔と乾燥、マッサージが、また局所療法として壊死組織の除去、局所の消毒として創洗浄剤の使用、細菌感染増殖の治療抑制として抗生物質の投与等が指摘されている。そして、褥瘡が進行すると、皮下組織のみならず、筋肉、骨を冒し、全身衰弱あるいは直接生命にも危機をもたらす重篤な合併症となり、敗血症等により死に至ることもあるといわれている。これらの事柄は市販されている医学用文献に記載されているところであるが、被告も、自力で体動できない患者の場合、二時間毎に体位変換を行うことや、糖尿病などのリスクを持った患者の場合はもっと頻繁に体位変換を実施する必要があることは知っていた(以上の事実については、甲第三号証及び甲第五号証の各医学用文献によるほか、被告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨により認める)。

3 そこで、以上認定説示の事実関係を前提に被告の債務不履行ないし不法行為の成否について判断するのに、被告病院では寝たきりの患者に対する体位変換は三時間毎に行うこととされていたが、仁は自力での体動ができなかったし、糖尿病の疾患があって褥瘡を併発し易い状況にあったのであるから、褥瘡を予防するために少なくとも二時間毎の体位変換が実施されて然るべきであったにもかかわらず、被告病院においては二時間毎の体位変換を実施しなかったばかりか、三時間毎の体位変換さえ必ずしも励行されていたわけではなく、その結果仁は入院して間もなく仙骨部に褥瘡を発症したこと、そして、褥瘡が発生した場合の保存的療法として褥瘡の予防と同様に圧迫の軽減を図ることが肝要であり、特に糖尿病などの合併症のある患者の場合はより頻繁に体位変換を実施する必要性があることは市販されている医学用文献においても夙に指摘されていたし、そのことは被告自身も医学上の知見として知り得ていたのに、看護婦に対して頻繁に体位変換を行うよう指示を与えることもなく、従前どおり概ね三時間毎の体位変換しか実施せず、しかも圧迫を軽減する用具として効果のあるエアーマットの使用については、その指示や勧誘等を行うことなく原告が独自に購入して初めて使用するような状況であったこと、その後仁は褥瘡の分類では第Ⅱ度の状態となり、被告は数回にわたり褥瘡部の痂皮を切除する等の処置を講じるとともに輸血や鉄剤の投与あるいは栄養状態の改善を施したりしたものの、褥瘡は治癒するに至らず、その後褥瘡のポケットが深くなるとともにそれが拡大するなど第Ⅲ度の状態にまで増悪したこと等の事実関係にかんがみると、被告は、被告病院の経営者ないし担当医師として、仁に対し、少なくとも褥瘡の予防と治療のために必要とされる適切な体位変換を実施しなかったものというべきであり、この点において被告に診療契約上の債務不履行ないし不法行為上の注意義務違反があることは明らかである。

もっとも、この点について被告は看護の体制上(基準看護Ⅰ類、患者四人に対して看護婦一人)限られた看護婦数では三時間毎の体位変換が事実上限度である旨主張し、被告本人もこれに沿う供述をするのであるが、被告病院における看護体制からして事実上三時間毎の体位変換が限度であることをもって、褥瘡の予防と治療に関する診療上の義務が免除ないし軽減される筋合いではなく、そもそも二時間毎の体位変換を実施することができないのであれば、それを実施することのできる看護体制にある医療機関に転医させるなどの措置を講じて然るべきであったのに、被告はかかる措置さえ講じなかったのであるから、漫然と患者を不十分な医療環境の下に放置したといわれても致し方ないというべきであり、医療従事者のあるべき姿勢の観点からみると、そもそも看護体制を理由に寝たきりの患者に対して二時間毎の体位変換を実施することは事実上不可能であるとして三時間毎の実施が限度であることを正当化する被告本人の供述態度自体、褥瘡の予防と治療に対する医療従事者の姿勢として甚だ遺憾というほかなく、被告の右主張は採用できない。

また、被告は、その本人尋問において、仁に褥瘡が発生した一番の原因は原告が入院当初からかなり長時間にわたり仁を車椅子に座らせていたことにある旨供述し、乙第五号証(被告作成の陳述書)にもそれに沿う内容の記載部分があるけれども、甲第九、一〇号証(原告作成の報告書ないし陳述書)によれば、被告病院入院前の豊島病院においても原告は仁を車椅子に乗せていたものの褥瘡が発生しなかったことが認められ、原告が仁を車椅子に乗せた程度のことで褥瘡が発生したと考えることは困難であり、被告本人の右供述及び乙第五号証の記載部分はいずれも採用できない。

二  争点2について

1  前認定のとおり仁は被告病院入院前より糖尿病に罹患していたところ、証拠(乙第二号証、被告本人)によると、被告病院においてもその治療のためインシュリンの投与が継続的に行われていたこと、被告病院に入院当時から仁には腎機能の低下がみられたが、平成四年一二月上旬頃から腎機能障害が著明となり、その後腎機能は悪化する一方で人工透析が必要な段階に至っていたことが認められ、前示のとおり仁は同月三〇日午前零時二四分転院先の豊島病院において腎不全により死亡するに至ったが、その直接の死因である腎不全について豊島病院医師日比哲夫作成にかかる死亡診断書(甲第一号証)には不明と記載されており、本件各証拠に徴してもその原因は必ずしも判然としないものの、被告が主張するように仁の死亡原因は腎不全であり、褥瘡の悪化はその結果であって、褥瘡は仁の死亡とは無関係であるとまでは断定し難く、前認定の被告病院において仁に褥瘡が発症した時期、その期間、褥瘡の程度、その他死亡に至るまでの約一か月間の被告病院における仁の全身状態の低下等にかんがみると、直接の死因である腎不全については腎機能障害が原因と考えられるけれども、その一方で褥瘡も腎機能を悪化させる要因として少なからざる影響を及ぼしたものと推認するのが相当である。

2  そうだとすると、仁が腎不全により死亡したことと褥瘡との間には因果関係が存在するものと認めるのが相当であるから、前示のとおり褥瘡の発生及びその治療について被告には債務不履行ないし不法行為上の注意義務違反が認められる以上、被告は、仁の死亡により原告に発生した損害を賠償する責任があるといえる。

三  争点3について

1  仁の損害

(一) 慰藉料

仁は、被告の過失により褥瘡となり、しかも適切な治療処置(体位変換)を施されないまま全身状態や意識状態が悪化し、遂に腎不全により死亡するに至ったものであるところ、仁は被告病院入院当時既に糖尿病に罹患していた上、小脳出血に基因する両側不全麻痺、四肢拘縮等により自力では体動困難な状態にあったこと、直接の死因である腎不全の原因としては腎機能障害が考えられるが、その要因として褥瘡のほか右のような糖尿病や体動困難な状態にあったという仁自身の身体的素因も少なからず影響を及ぼしていると推察されること、その他仁の年齢(死亡当時六〇歳)等本件に顕れた諸般の事情を総合勘案すると、仁の死亡による慰藉料は、金一〇〇〇万円と認めるのが相当である。

(二) 原告の相続

仁は平成四年一二月三〇日死亡し、その相続人は妻である原告と母である岩嵜ジヤウの二人であるから、原告は仁の右慰藉料請求権のうち法定相続分三分の二に相当する金六六六万六六六六円(円未満切捨て)の請求権を相続により取得した(甲第二号証、弁論の全趣旨)。

2  原告の損害

被告は、仁の妻である原告に対し、仁の死亡により被った精神的苦痛に対する慰藉料の支払義務があるところ、前認定の事実その他本件に顕れた諸般の事情を斟酌すると、仁の死亡により原告が被った精神的苦痛を慰藉するには、金一〇〇万円をもって相当と認める。

3  弁護士費用

本件事案の内容等を考慮すると、本件債務不履行ないし不法行為と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額は、金七五万円と認めるのが相当である。

四  結論

以上によれば、診療契約上の債務不履行に基づく原告の本訴主位的請求は、被告に対し、金八四一万六六六六円及びこれに対する仁死亡の日である平成四年一二月三〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は失当として棄却を免れない。

(裁判官山﨑勉)

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